日中国交正常化から改革開放
公明党の竹入義勝による訪中を経て、1972年9月、周恩来総理(当時)の招待で田中角栄が訪中して歴史的な日中首脳会談が実現した。両首脳は数日の協議の末日中共同声明を発表した。これを以って「中国」との「不正常な状態」が終結、日中友好のために日本に対する戦争賠償の請求は放棄され、「一つの中国」を十分理解・尊重、日華条約も同時に無効となった[43]。日中国交正常化後、両国は声明の中で示された日中条約締結へ向けて動き出すことになるが、反ソ連を想定した「反覇権条項」を巡って交渉は難航、また1976年に毛沢東・周恩来が相次いで死去し、華国鋒への権力引き継ぎや文革を推進した「四人組」の逮捕で中国の内政は揺れていた。しかし、福田赳夫内閣の時に日中平和友好条約が結ばれ、1978年10月に中国の鄧小平副総理(当時)が批准書を携えて来日した。
小梅の経済広報
消費者生活アドバイスライフ
笑いの女達
笑顔のまんま
上州かかぁ天下
上昇気流
情報パラダイス
心の扉
心菜の可愛い子には旅をさせよ
新しいシャツ
新入社員ゲット
真央のかわいい靴
真昼の月
神風特攻隊
親子がめの一日
人気スポーツ旅
人生に涙あり
水たまり
世界の宝庫
星の金貨
華国鋒の失脚で実権派の鄧小平が復権すると、中国を現代化するための「四つの基本原則」を打ち出して改革開放路線への「大転換」を行う。日本政府はこれを高く評価し、大平正芳訪中を機に政府開発援助の名目で中国に大規模な円借款を行って中国の計画経済に大きく貢献した[44]。1980年代の日中両国は相互補完的な「蜜月期」を迎えるが、その一方で歴史教科書の記述を巡る問題や靖国神社公式参拝の問題が沸き起こる。台湾との関連では、光華寮訴訟や尖閣諸島領有権問題が起きる。